研究内容

(2023年度からの内容です)

脳のシミュレーション科学 [1]

山﨑研究室では、メゾスコピックなレベルで脳内の複数の領域と身体をモデル化・接続し、学習と制御のメカニズムを解明しようとする脳身体シミュレーションと、ミクロスコピックなレベルで神経回路を精密に再構築し、特定一個体の脳の忠実なデジタルコピーを作成する脳デジタルツインの、2つの研究テーマを進めています。研究室内も2チームに分かれています。それぞれのテーマは、脳の働きを理解するためのサイエンスと、シミュレーションを可能な限り大規模・高速・高精度に実行するためのエンジニアリングの方向性を持っており、チーム内でさらに興味が分かれます。

脳身体シミュレーション

サイエンスとして、大脳皮質-基底核-小脳-視床からなる回路全体の学習アルゴリズムとして、大脳皮質-基底核ループと大脳-小脳ループがそれぞれ強化学習器として機能し、かつ階層的に配置されている階層強化学習を提唱しています [2]。大脳基底核が強化学習器であるというのは古くから提唱されており、実装も複数ありますが、小脳もまた強化学習器であるということを私たちは2019年に提唱し、小脳のスパイキングネットワークモデルを構築してその学習能力を確認しています [3, 2023年日本神経回路学会大会奨励賞受賞]。大脳皮質-基底核ループが全体の運動計画や具体的なゴール設定を行い、設定されたゴールに向かって大脳-小脳ループが運動を実行する、という役割分担です。この仮説のもとで、マウスの随意運動学習のシミュレーションを行い、随意運動学習において複数の脳領域ならびに身体がどのように連携して全体の運動を生み出すのか、そのメカニズムを実験のグループと一緒に解明しようとしています。

エンジニアリングとして、複数の領域からなる脳モデルと身体モデルのシミュレーションを高速に行うために、脳モデルをスパコン「富岳」で、身体モデルを研究室のPCでそれぞれシミュレートし、脳と身体の間の信号伝達をネットワークを介して行う、分散シミュレーション環境を開発しています [4]。脳のモデルは今後も大規模化・精緻化していくことが強く想定されるため、「富岳」の莫大な計算資源を活用できるような仕組みを構築しています。一方で、GPU上でシミュレーション可能な小規模な大脳皮質-基底核-小脳-視床モデルも構築中です [5]。リアルタイムでスパイクベースの階層強化学習ができるので、エッジAIとしての利用が期待できます。

脳デジタルツイン

メゾスコピックな神経回路のモデリングでは、ニューロンの空間形状や様々なイオンチャネルとカルシウムのダイナミクスは無視されがちですが、ミクロスコピックな場合はまさにそれらが重要です。実際に電顕で得られた構造データに基づいて神経回路を精密に再構築し、シミュレーションによって「魂を入れ」ます。

サイエンスとして、樹状突起の空間形状やイオンチャネルの非線形性を利用することにより、単一ニューロンでも高度な情報処理が可能であるということが提唱されています (樹状突起計算) [6]。特に小脳のプルキンエ細胞は非常に巨大な樹状突起と様々なイオンチャネルを持っていますが、樹状突起計算により、平行線維刺激の入力シーケンスの弁別が可能であることを示しました [7]。現在はマウスV1カラムモデル [8] の実装とその情報処理能力の調査に取り組んでおり、特に4層への入力と2/3層への入力が衝突したときにどのような非線形な増幅が起こり知覚に至るのかに興味があります。

エンジニアリングとして、空間形状や樹状突起上でのイオンチャネルの種類・分布を忠実に再現したモデル (マルチコンパートメントモデル) のシミュレーションは計算が重いので、そのための数値計算法が必要です。計算の発散を防ぐために通常は陰解法を用いますが、あえて陽解法にすることでメモリバンド幅にやさしい数値解法を開発しています [9]。また、それを中核とし「富岳」で大規模に実行可能なシミュレータを開発し、Brain Modeling ToolKit (BMTK) [10] から利用可能にしようとしています。短期的な目標は、マウスV1カラムモデル [8] の「富岳」上でのリアルタイムシミュレーションです。

これまでの研究との関連性

これまで我々は主に小脳を研究対象にしてきました [2]。現在でも小脳の研究は行っていますが、小脳単体では随意運動の学習制御は説明が難しい、特に学習において重要な登上線維の信号がどこから・どのようにして下オリーブ核経由でやってくるのかがわからないので、小脳単体の研究の限界を感じ、小脳を含む脳全体の神経回路へと対象を拡大しているところです。また、ポスト「京」萌芽的課題 (2017-2019)、「富岳」成果創出加速プログラム(2020-2022, 2023-2025) への参加を通して、スパコン「富岳」による脳のシミュレーションに傾倒しています [11]。

参考文献

  1. 山﨑 匡, 五十嵐 潤. はじめての神経回路シミュレーション. 森北出版, 2021.
  2. Tadashi Yamazaki. Evolution of the Marr-Albus-Ito Model. In Book “The cerebellum as a CNS Hub” (Eds, Mizusawa and Kakei), 23-–255, Springer, 2021.
  3. 栗山 凜, 吉村 英幸, 山﨑 匡. 強化学習器としての小脳スパイキングネットワークモデル. 第33回日本神経回路学会全国大会 (JNNS2023), 2023年9月4日-6日, 東京大学. 大会奨励賞受賞.
  4. Kuniyoshi Y, Kuriyama R, Omura S, Gutierrez CE, Sun Z, Feldotto B, Albanese U, Knoll AC, Yamada T, Hirayama T, Morin FO, Igarashi J, Doya K and Yamazaki T (2023) Embodied bidirectional simulation of a spiking cortico-basal ganglia-cerebellar-thalamic brain model and a mouse musculoskeletal body model distributed across computers including the supercomputer Fugaku. Frontiers in Neurorobotics 17:1269848, 2023.
  5. Rin Kuriyama, Claudia Casellato, Egidio D’Angelo, Tadashi Yamazaki. Real-time simulation of a cerebellar scaffold model on graphics processing units. Frontiers in Cellular Neuroscience 15: 623552, 2021.
  6. Michael London, Michael Häusser. Dendritic computation. Annu Rev Neurosci 28:503-32, 2005.
  7. Kaaya Tamura, Yuki Yamamoto, Taira Kobayashi, Rin Kuriyama, Tadashi Yamazaki. Discrimination and learning of temporal input sequences in a cerebellar Purkinje cell model. Frontiers in Cellular Neuroscience 17: 1075005, 2023.
  8. Yazan N. Billeh, Binghuang Cai, Sergey L. Gratiy, Kael Dai, Ramakrishnan Iyer, Nathan W. Gouwens, Reza Abbasi-Asl, Xiaoxuan Jia, Joshua H. Siegle, Shawn R. Olsen, Christof Koch, Stefan Mihalas, Anton Arkhipov. Systematic Integration of Structural and Functional Data into Multi-scale Models of Mouse Primary Visual Cortex. Neuron 106: 388-403, 2020.
  9. Taira Kobayashi, Rin Kuriyama, Tadashi Yamazaki. Testing an explicit method for multi-compartment neuron model simulation on a GPU. Cognitive Computation 15: 1118-1131, 2023.
  10. Dai K, Gratiy SL, Billeh YN, Xu R, Cai B, Cain N, et al. Brain Modeling ToolKit: An open source software suite for multiscale modeling of brain circuits. PLoS Comput Biol 16(11): e1008386, 2020.
  11. https://www.youtube.com/watch?v=AKIwzeFUHdE