研究テーマの移り変わりと今度の神経回路学会

私(山﨑)のポスドク時代、最初のボスは田中繁先生でした。田中先生からは様々なことを教わりましたが、研究テーマの持ち方として、2つのテーマを並行して持つのが良い、という指導を受けました。すなわち

  • 短期的に確実に成果が出て予算が取れる手堅い研究
  • なかなか芽が出ず予算も取りにくいが大化けする可能性のある研究

の2つを並行してやりなさい、という教えです。前者で研究室を回しつつ、後者でハイインパクトを狙っていく、という研究室の運営上の戦略であり、現在に至るまでずっと実践しています。そしてこの2つのテーマの関係性は固定ではなく、時間とともに前者と後者は入れ替わります。

2024年前期現在、我々の前者の研究は脳身体シミュレーションであり、新学術「脳情報動態」や学術変革A「行動変容生物学」の分担で研究費をいただきつつ、Yamazaki & Lennon (2019), Kuriyama et al. (2021), Kuniyoshi et al. (2023)などの成果をもたらしてきました。後者の研究はずっとステルスモードでしたが、ようやく形になりはじめ研究費もつき始めました。すなわち、前者と後者の入れ替えのタイミングに来ていることを実感しています。

我々はこれまでずっとシングルコンパートメントモデルによるメゾスコピックレベルのシミュレーションを行なってきました。前者の研究は全てメゾスコピックレベルの研究です。メゾスコピックモデルは、これからも神経科学の理論研究を牽引していくと思います。ただし、メゾスコピックレベルのシミュレーションは、理研の五十嵐さんによって、スパコン「富岳」を用いて既にヒトスケールに到達しています。今後ヒトスケールのメゾスコピックモデルを用いた神経科学研究が数多くなされるとは思いますが、技術的には一つの到達点に達してしまいました。

では、次の技術的なチャレンジは何でしょうか?私はマルチコンパートメントモデルによるミクロスコピックレベルのシミュレーションだと考えています。マルチコンパートメントモデルはシングルコンパートメントモデルの数百〜数万倍の演算を必要とするだけでなく、様々なイオンチャネルやカルシウムの動態を考慮する必要があり、そもそも数値計算法自体を変更するので、遥かに大規模な計算が必要になります。ミクロスコピックレベルでのヒトスケールシミュレーションは、「富岳」はおろかポスト「富岳」でも難しそうな課題ですが、メゾでヒトスケールが達成されたこのタイミングでの着手は十分適切かつ現実的だろうと思います。

マルチコンパートメントモデルのシミュレーションでは、NEURONシミュレータを使うのがほぼ唯一の選択肢です。これまで多くのチャレンジャーが現れて(SfNでは毎年1枚くらいは新しいシミュレータのポスターがあったと記憶しています)消えていきました。今はArborが頑張っていて、成り行きを固唾を呑んで見守っています。一方、我々の立場では、シミュレータ開発は目的ではなく、自分たちのサイエンスをやるための手段でしかありません。NEURONではできない/できそうもない/できるかもしれないけど自分たちの手に余ることをやるために、今回、新たに”a light-weight neuron simulator”、通称”Neulite”を開発しました。NEURONとは思想も構造も違うので競合はしません。

今度の神経回路学会で正式にお披露目をします。秋良さん(D3)が口頭発表をして、栗山さん(D3)と井浦さん(M1)がそれぞれポスターで秋良さんの発表を補強する、という構成になっています。

9 月 11 日(水)10:30-10:42 O1-1 秋良花綾(電気通信大学),井浦茉莉(電気通信大学),栗山凜(電気通信大学),小林泰良(山口大学),五十嵐潤(理化学研究所), 山﨑 匡(電気通信大学) 標準化されたモデル化インタフェースを持つ「富岳」向け軽量生物物理学的ニューロンシミュレータの開発

9 月 11 日(水)17:10~19:10 P1-38 栗山凜 (電気通信大学),秋良花綾 (電気通信大学),山﨑匡 (電気通信大学) スーパーコンピュータ富岳における Neulite シミュレータの並列実装

9 月 12 日(木)16:10~18:10 P2-14 井浦茉莉(電気通信大学),秋良花綾(電気通信大学),山﨑匡(電気通信大学) Neulite シミュレータへの Brain Modeling ToolKit の統合

危なっかしいところも多々あると思いますが、ご高覧いただけましたら幸いです。