卒業研究に対する考え方

(2015年11月18日一部文言を修正)

「英語」と「受験英語」が似て非なるものであるということは、皆さん同意するでしょう。センター試験で九割取れるからといって、じゃあ明日からアメリカでやっていけるかというと、それは辛そうですよね。

同じことは「研究」と「卒業研究」にも当てはまります。先生によっては卒業研究とはあくまでも教育の一環なので、教育的に配慮した—つまりサイエンスとしては何のメリットもインパクトも無い—研究テーマを与えて、研究室内で丁寧に育てるでしょう。別の先生は卒業研究と言っても研究なのだから、最先端の研究テーマを与えて、いきなり現場に—つまり競争的研究資金で走っているプロジェクトや国内外の研究会に—放り込むでしょう。それは良い悪いとか、どちらが正解であるとかそういうことでは無くて、単にその先生が卒業研究をどのように捉えているか、ということです。

うちは完全に後者です。積極的に現場に放り込みます。研究室という温室の中に閉じこもってできる教育には限界があります。それを越えるためには、自ら未知の場所・国に出向くこと、そこで未知の人たちと出会うこと、さらにその人たちと議論を重ねることが必要で、それらは全て研究活動の必要条件であると同時に、そういう経験は自立した成人へと至る教育の一環であると考えるからです。

必要最低限の専門知識や発表・議論の仕方など、研究者としての最低限の礼儀は研究室で教育します。後は実際に現場で身につけて下さい(研究室ではこれを「溺れながら泳ぎを学ぶ」と言います)。最初のうちは私や研究室の先輩も同伴するから心配しなくていいです。我々がまずやって見せますから、その振る舞いを見て学んで下さい、あるいは真似て下さい。そのうち一人でできるようになります。そして、帰ってくれば温かく迎えてくれる場所として、うちの研究室は常に存在します。十分な休息を取ったらまた飛び出していけばいい。

まとめると、うちの研究室には「卒業研究」は存在しません。あるのは単に「研究」です。「研究」をして、きりのいいところで「卒業研究」という形に収束させます。

卒業研究は大学四年間の最後を飾る大事なイベントです。配属されたら最後、一年間はそこに居続けなければいけません。ミスマッチを可能な限り避けるために、各研究室を積極的に見て回って、先生と話をして、じっくり吟味して、自分がベストと信じる研究室の門を叩いて下さい。そのために私も情報は包み隠さず公開します。

(2015年11月12日初出)